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阪神・淡路大震災と私

山 本 昭 乃
(大阪市西淀川区)

 

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阪神・淡路大震災が起こった時、私は、スペインのマドリードにいました。朝ホテルの部屋から、ロビーへ降りて行くと、同じツアーの人達が、衛星放送で淡路に大きな地震が起こって神戸の長田が大火事で燃えていると話していました。部屋に帰ってテレビをつけてみました。いきなり無残に潰れたビルと半壊の家に迫ってくる炎の様子が写り、高速道路の橋脚が倒れ、高架鉄道の線路が落下し、そして西宮市民体育館に避難した人達が写っていました。
私の実家は西宮の阪急の古楽園口から少し山手の農家で、丈夫に建ててあるので大丈夫だろうと思いましたが、念のため国際電話をかけました。けれど通じなく、大阪の息子にかけても通じません。吹田の娘の所にかけるとやっと通じ、やはり西宮市には通じないとのこと、西淀川の自宅も横のガス管が破れて今大変、自宅も少し傾いているようだと言います。落ち着かないが、その日は美術館や王宮を見学し、夜遅くホテルへ帰ってきました。電話するには迷惑な時間なのでめてテレビを点けると、地震のことばかりが写っていました。段々地震の被害の大きさが分かってきて、一晩中テレビを見ていました。
日本が朝になるのを待ちかねて娘の所に電話、姑さんが電話に出て、今娘夫婦は西宮に行っているとのこと。どんな様子なのか聞いても何となく歯切れが悪くしつこく聞くと、家が潰れてお母さんと弟のお嫁さんが亡くなられたそうだと「え!すぐ帰ります」と受話器を置き、添乗員を探しに外へ飛び出しました。マドリードの営業所にすぐ電話をしてくれて、車で迎えに来てくれるという、慌てて荷作りをし迎えの車で空港まで送ってもらいました。
空港に着いてチケット売り場で、日本の大地震で家が潰れ母親と義妹が亡くなった、一刻も早く帰りたい、切符を交換してもらえないかと頼んでくれると、さすが情報時代、遠く離れている日本の地震を知っていて気持ち良く替えてくれました。本当に嬉しかったです。営業所の人も親切で、搭乗口の番号や、パリに着いて関空行きの待合室に行く道順等を紙に書いて持たせてくれました。人の親切が身に沁みました。
パリに着いて関空行きの飛行機を待つ間、A新聞が配られていました。一面から生々しい地震の惨事の凄まじい写真が載っていて、死亡欄に母の名前を見つけました。義妹はと探しましたが、彼女は見つかりませんでした。もしかして生きてくれたのではと思いました。
パリから無事関空に着き、迎えに来てくれた車に乗せてもらい市内に入りましたが車はなかなか進まず、近くの環状線の駅で車を降り、息子たちと阪急の梅田で落ち合いました。
電車は西宮北口迄しか行かないとのこと、プラットホームは水の入ったポリ容器や食料を持った人が一杯。西宮に近づくにつれ、地震で潰れたビルや民家が増えていきます。西宮北口で降り高架線路沿いに夙川の方へ歩いて行きましたが、電車の線路が落ちたり道路沿いの建物がほとんど壊れています。実家に着いて唖然としました。あのがっちりと大き

 

 

 

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